U-REALM カラースペシャリスト【福永圭祐】の思い出話

update:2016/12/07

こんにちは福永圭祐です。

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いつもU-REALMのホームページを見に来て下さってありがとうございます✨✨

今回ホームページがリューアルされスタッフ皆でブログを書かせていただく事になりました。

ボクもその中で読んでくださる皆さんのちょっとお役に立てる髪の事や日常なんかを書こぉと思っています(^^)

まずは初めましての方も沢山いらっしゃると思うので今日は少し自己紹介を✨✨

 

カラースペシャリスト 福永圭祐のプロフィール

福永圭祐

カラースペシャリスト

1981.08.13

O型

長崎県の壱岐っていう島の出身

空と海がとってもキレイな所です(^^)

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壱岐砂浜図鑑

 

 

注:オシャレとか大嫌いな九州男児の父を持ち、”髪が長い”という理由で、箱根駅伝で青山学院大学が奇跡の往路復路完全優勝した年のお正月から実家出禁です…

 

 

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産まれて初めての将来の夢は、

“便器磨き屋さん”

でした。

幼い頃のある日に突然お手伝いをしようと思い、御手洗いの便器をサンポールとブラシでピカピカに磨いたのを見て、母が喜んでくれたのが嬉しくて心に誓ったのを覚えています!

同じような理由でボクの2番目の夢は、

“洗濯物たたみ屋さん”

でした。

その頃のボクは母親が喜んでくれる事が世界で1番大切だったのだと思います。

 

美容師になろうと思ったのは、

“自分のやる事で周りの誰かのちょっとした幸せや笑顔のお手伝いが出来たらいいな。”

ってのがずっとあって、そんな仕事がやりたいなぁって思いながら、ど田舎の小さな島のボクから見えるお仕事を探して見つけたのが美容師だった。

ってのがキッカケです。(当時はSNSなんて無かったし、どんな仕事があるかなんて殆ど知らなかったんだと思います。)

モチロン父親は大反対❗❗

“そんな仕事は水商売だ。やりたいのは今子供の内だけだ”って(^^)

2週間位説得するのにかかりました。

生意気にも、

“仕事で人を判断するような大人にはなりたくない。”

なんて、言葉を父親に投げつけて一応の許しを得ました。(あの時は傷つけるような言葉をホントにごめんなさいm(__)m)

専門学校は福岡県の”大村美容学校”就職に有利なように東京の学校に行きたかったボクに、

“お爺ちゃんお婆ちゃんもずっと元気じゃないし、未成年の間は直ぐ手の届く所にいて欲しいな。”

って母の言った1言で決めました❗

 

卒業後晴れて上京✨✨

…無職でした。。

在学中、そして卒業後のフリーター時代に受けた美容室は全て不採用\(^^)/❗❗

8件位うけたのかなぁ…

ボクに魅力が無かったんですよね(^^)✨✨

ひょんな事から働き始めた美容室で働き始めて2年くらいかなぁ…❓

高木が独立をして新しいサロンをつくる、という話を貰いました。

その時のボクはもぉ表参道、原宿で働く事が全てじゃ無いし今働いてる美容室のお客様とお別れするのヤダしなぁ、、、

って思いながら、何故か自分の美容師人生の中で凄い人にあっておこう位の気持ちで話を聞きにいきました。

色んな話をしてもらい。

“多分怖い人だろうなぁ…”

(この後一緒に働くようになってこの時のボクの想像を遥かに越える怖さだったのは言う迄もありません❗❗)

って、思いながらも

“ヒトとして目の前のこの人についていきたい”

って。

2度目の食事の時に、

“ついて行かせて下さい”って頭を下げました。

こんな感じでU-REALM 福中圭祐 が始まりました。

 

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器用でも何か特別得意なモノがあるとか話が上手いとか、何にも無かったんですよね(^^)

カラーは好きでした。

長さやフォルム、ボリュームを作るカットやパーマよりも、カラーってその時の気分や、どんな風に見られたいとか女性像なんかを表現出来るかなぁって、

それがボクの今の根底にあると思います。

ヘアカラーで皆さんの毎日をちょっとだけいつもよりhappyに、

 

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鏡を見る時にワクワクしちゃうような美容師でありたいと思っています。

ボクのカラーは、”艶”と”透明感”を生み出すレシピ作りにこだわっています。

3~8色をパレット上で混ぜお客さま1人1人の髪にのせた時に1番魅力的にそのお客様が似合って下さるように、

“明るいカラーは上品に、暗くても重くない透明感のあるカラー”

そんなカラーでお客様の毎日を彩り続けたいなって思っています。

 

ちょっと長かったですが、

こんなボクですがこれからも宜しくお願いしますm(__)m✨✨